秀逸な話

秀逸(言いたいだけ)な話。

御殿場の秀逸な話

欲を掘る

東京での暮らしも徐々に慣れてきているように思う。

東京に来てからは毎日、友人・知人・知り合いに会っている。

東京に来たんだなと実感すると同時にカネの有り難みを知る。働こう。労働しよう。汗水流していこう。やりがいを見つけよう。新しいジブンを見つけよう。労働fuck

 

某アプリを開くと地元の百倍以上の登録者が表示されて歓喜と共に動揺をおぼえる。

動揺しすぎて鼻水が出てしまった。

人は動揺すると鼻水が出る。これ、豆知識な。

 

百倍以上の登録者が表示されているため、全員を閲覧することは出来なかったが、数十人のプロフィールを開いた。

自分の中でダントツに盛れている写真や、考え抜いて精査されたプロフィールなのでしょう。

しかしながら、「友達募集してます!」「真剣に恋人探しています!」と記載している人が多い。

いろんな人とやり取りをしても「この人もいいけど、もっといい人がいるかも」と思い、恋仲の関係を築かずに友人関係で落ち着かせる人。

「メッセージするのも会うのもなんだか面倒。いつか友達ができるでしょ。あわよくば、彼氏になれたらいいな」とか思って、厳選しつつ友人が中々できない人とかいるんだろうなと脳内想像教室を開催。

 

中には友人や恋人を求めずに、肉体関係のみを欲する人もいる。

その人達は知らん。知らんけど、恋人・友人を募集しながらも求めた結果に繋がっていないであろう人達、ある種のヤミ、現状をアプリが物語っていたので、欲を掘りすぎるとロクな事が無いなと再認識した。

私はボチボチ生きます。

 

 

 

コミュティisデッド

コミュティに所属すること。いい事だと思う。

社畜生活でのペルソナを脱ぎ捨て自分を露わにする。「好き」が「好き」の輪を広げる。点と点が繋がり輪になる。なんて素晴らしい。

 

「好き」が無ければ知り合うこともなかった。道ばたですれ違っても気づかない関係だったかも知れない。しかしながら「好き」を通して性別・宗教・住む世界を問わず仲良くなるコミュニティはすごいと思う。語彙力ゼロか。永遠のゼロ。アサヒィスゥーパァードォラァイ。

 

ひとつのコミュニティに所属すると、くさくさするシーンに遭遇することもある。視界が狭くなることもある。

だからこそ「好き」を増やして、コミュニティを増やして、視界を広くすることもひとつの選択肢だと思う。

 

もしもあなたがゲイのコミュニティだけに所属しているならば、違うコミュニティに所属する選択肢を持つのもいいと思うの。朝、駐車場で目覚めたら街の景色が変わってたから、君は変わらないはずないんだよ。と思う。

怒りが降る

私は女っ気が全くない。

そりゃそうだろ、お前はゲイなんだから!と赤目を吊り上げて言ってくる人はナンセンス。

まだ本筋を書いてないのに、本題に入る前の前提段階で怒るなんてナンセンス、コンデンス、ヤーベンでヤンス。

 

仕事においてプライベートな話題で「好きな女優は?」「彼女はいないのか?」と聞かれることがある。

しかしながら私は「平野レミっすね。だって、料理がうまいじゃないですか」とか「恋愛レボリューション中なんです」と言って修羅場をくぐり抜ける。質問を投げた人間も「返答が斜め上すぎるw」と笑いすぎて腹筋が筋肉痛になって苦しみ、苦しみから逃げるために火を放ち辞世の歌をよむ。

赤々と輝く光景を見ながらその辺のゲイとはダンチなんだよ!と思いながら、私はほくそ笑む。そんな日常。平穏な日常。鳥は歌い、花は咲き誇る。安土桃山文化村。

 

そのはずだった。

しかしながらウチの社長は会うたびに「タナカちゃんってゲイなんじゃないのー?」と言ってくる。飲み会のシーンに限って。そのたびにテメェはLかよ、と思う。しかし言えない。私はヒラだから。なので仕方なく「いやー、違いますよ笑 オレ女の子好きですもんー笑」と言う。

困ったことに相手はLなので「いや、分かるんだのね。そういうの。笑 別に気にしないから。留学とかしてるし。笑」と一気に攻めてくる。火縄銃かよ、お前は。

その言葉が耳に入るたびに「気にしないならそっとして欲しい」と星に願う。神に願う。祈りを捧げるものの信仰が足りないのか、目の前の社長に隕石が落ちたり、雷が落ちたことはない。エモい。

 

せめて、酒が入っていないときに聞いて欲しい。酒のチカラを借りてるんじゃねぇ。お前はLなんだよ?そこんとこ分かってねぇだろ?怒りが降るぜ?と心のなかで反芻。

ゲイはよく言うセリフであろう「ゲイじゃないですよ笑」って自己否定MAX の言葉なので代替案をモトム。

 

ちなみに私はホゲて無い。

 

 

悪いオトナの手本でありたい

ミニマリスト気取りな私です。

自宅には一般的な家電は持ち合わせておらん。当然ソファーやカーテンなども無く生活感が無い。住居というよりも独房に近い。おろろん。マイノリティ。

家のなかには生活を送る上で必要最低限なモノしか無く、例をあげると布団と机、椅子、ニンテンドースイッチKindle

 

おもむろに「場所ありです!」と誘い、自宅に来たヤツは自宅内を目視すると急に顔青ざめ脂汗をかきながら「用事ができたっす!いや、思い出したので失礼いたす。ドゥフフ。」と言いながら帰る。なんてことは起きたことがない。誘ったことあらへんもん。

 

前に「イケてる部屋作り!誰でもできるオシャレ空間!」という本を読んだ。

木目調のナチュラル感漂うテーブル、シンプルなベッド、シンプルながら存在感のあるMacBookとオシャレな部屋の写真と解説文章が添えられていた。

 

人によく見られたい、誰しもが思うでしょう。知らんけど。

ステキでオシャレな家に住んでます!と誰しもが思うでしょう。知らんけど。

 

見え透いた見栄。

錆び付いた家。

スピーカーからアップテンポな爆音とリリックが聴こえる。幻想かしらと思いながら家に帰っては煎餅布団に潜り込む毎日。

 

モノを持つとリスクを抱えるような気がする。思考が増えるじゃん。

そんな感じだから彼氏が欲しいと思わないのかと言われたら、言わぬが花でしょう。

 

文書を書く前からオチ(ゴール)を決めてしまうとフワフワするし、リズム感を掴みにくいよね。

 

関東率÷東京率

あっという間に3月。花粉症対策にメンソールタバコを吸っている間に3月。もうすぐ春。時の流れが早すぎて歯が抜けそう。歯が抜けたら屋根に歯を投げるんだ。それがオレの夢。大海賊時代。時は戦国。

 

なんか知らんけど最近は東京を中心とした1都3県に在住の方からフォローされる。嬉しい。

嬉しいけど、フォローの通知が来た時に「え?私、下関にliveしてるんですけど!?」といつも絶叫しながらフォローを返してます。そのせいか壁ドンされるのが日常です。ま、嘘なんですけどね。

 

フォローという行為。

少なからず、興味・関心がある人をフォローする。その人が有益な情報を発信していたり、面白いツイートが多かったり、アイコンがイケメンだったり。最後はゲイだけかもしれん。

しかしながら、自分のツイートを読み返してみると、有益な情報は発信していないし、ツイートはスベってるし、逆イケメンのアイコンがニヤニヤしているように見える。

特にツイートなんかは恥ずかしすぎて赤面しながらケツの穴に入りたくなってしまう。

 

自分をフォローしてくれる人は奇特だと思いつつ、なんとなしに自分に興味を持ってくれているはずなので嬉しい。

住んでいる山口県の人、隣県の人達からのフォローは皆無なので若干寂しいけども。

 

 

 

 

出会いを求めて三千里

ピンク色のアプリをアンインストールしたものの、ノリと勢い、直感とシックスセンスで、水色のアプリをインストール。

 

オモロイ人と出会えたらええがな!なんつって、てな感じで進めていたらマッチしました。開始5分。ハンパねえ。

 

しかしながら、コチラのレスを問わずメッセージをバシバシ送ってくる方でゲンナリ。すまねぇ。

追われるより追うタイプなんです私。

ガン攻めってのは、むやみたらに振るんじゃなくて、狙って振って攻めるんだぜ。

 

オモロイ人と会ったらアップデートしていきますわ。まぁ、ぼちぼちいきましょ。

元カレのこと

人生で2番目に付き合った元カレと過ごした記憶は悪い思い出もあるけど、良い思い出の方が多い。

オレが20歳の時に元カレは17歳。そんな当時。

 

お互いにバイトはしていたけど、金がなかったので某コーヒー店でスターなんちゃらラテを頼んで公園で飲んでお喋りして解散。雨が降った日には某コーヒー店でキャラメルなんちゃらフラペチーノを飲みながらお喋りして解散。みたいなデートが多かった。コーヒーが好きな所はこういう所から来てるのかも分からん。

 

親が居ない日には家に遊びに行って、好きなバンドの音楽をダラダラ聴いたり、お互いオススメのマンガを読みあった。アホな話を沢山した。笑いあった。楽しかった。

 

「成人した時に好きな人が居て、この人とならエッチしたいと思った時にエッチしたらええやん」ってオレは言ってた。未成年だから、という理由で手は出さなかったし、好きすぎて性欲が高まらなかったように思う。ありきたりなJ-POPの歌詞にありがちな「ただ隣に居てくれるだけで良い」みたいな。そんな感じ。

 

ただ、ずっと抱き合ってた。

オレの身長は今と変わらない158センチ。元カレは178センチくらいあった。背が高い人に惹かれるのはこの思い出が忘れられないから。相手の胸にオレの頭が来る感じ。いいよね。

 

 

17歳。若い。たくさん悩む。だから、悩みをたくさん聞いてた。

将来のこと。進学のこと。家族のこと。自分のこと。見えない未来は苦しい。

だけど、悩みが解決した時の元カレの笑顔は忘れらない。嬉しそうだった。オレも嬉しかった。解決して悩みが出たら、また話を聞く。とりあえず、それでいい。人から相談されるのが好きなのは、この時の経験から来てる。これは絶対間違いない。逆に自分から中々悩みを相談出来ないのも、この時の経験から来てる。

 

 

元カレは所謂バイセクシャル

女の子としか付き合っていなかった。オレが初めての彼氏。ドキドキするよね。

バイにはバイの悩みがあるらしく、ゲイなオレを頭を捻りながら話を聞いてた。ゲイの中には「バイとは付き合えない」という人もいる。自分の「バイでもいいじゃん、なんでもいいじゃん、どっちでもいいじゃん」という価値観はこの時に出来た気がする。

 

色々書いたけど、歳下が好きな理由は元カレの思い出をどこかで抱えてるのかなぁと思う。

 

だけど、別れ方は良くなかった。付き合って1年と少し。

ココでは詳しく書かないけど、自分との関係を解消することが最良の選択としか思えなかった。当時の自分は引き出しが少なかった。

未だに後悔してる別れ方だけど、別れて3年後、街でバッタリ会った時に「あの時言ってくれた事はキツかったけど、今思えば正解だと思うよ。」と言ってくれた言葉に救われた。

 

当時の事を振り返りながら書いた。

やっぱり楽しい思い出が多い。思い出は美化されていく、という。
自分の記憶には今もはっきりと残っている。自分の思考・嗜好にもはっきりと現れている。

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