秀逸な話

秀逸(言いたいだけ)な話。

御殿場の秀逸な話

tawarayama紀行文 上

週末の休日を利用し、俵山温泉へ行った。これには理由があるのだ。

先日、誕生日を迎え27歳になった。

なんか知らんが業務中にも関わらず、みんな席を立ち拍手をして祝ってくれた。それを見て思わずmind jive。

お祝い事なんだから、今日くらいは仕事なんか止めて、酒でも飲みましょう。そう言って、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プシュッとやって、グイッと喉元走る勢いで飲酒。即座にクビ。なんてなるくらいに嬉しかった。自分で言うのも愛されてるっつーか?うん。愛されてんだよね、やっぱり。ははは、気質でござる。

 

そんなバカな事ばかり考えてるので、27歳になっても落ち着きがない。おそらく、このままでは自堕落し、人間的に腐る。所謂、ダメ人間になりつつある精神と肉体を「西の横綱」と呼ばれるこの地で浄化すべく、と無意識に足が向かった。

 

下関駅からバスに乗り、目的地へ向かおうとするも時刻表を読み間違え、乗る予定のバスには間に合わず、次のバスが来るまで2時間近く待った。寒かった。

 

長門市の山奥にある俵山温泉は、良質な湯が出る湯治場としてリウマチや神経痛持ち、農期を終えた農家など多くの人が訪れ、その昔はかなり栄えていたらしい。しかしかながら、現在は立地の関係もあるのか、訪れる人が少なくなり、旅館の数も少なくなっており、かなり鄙びている街並みになっているとのこと。

 

俵山温泉行きのバスに揺られる時間が経つに連れて、 窓から見える景色が緑色を帯びていた。自分の網膜組織が緑色しか認識しなくなったかと思えたが、落ち着いて流れる景色をぐっと見ていると、どうやら農村地帯を超え山奥へと進んでいるだけだった。

その途中、金田一少年の事件簿に出て来るような細い橋や、一方通行の狭いトンネルをバスが抜ける度に現実世界から遠ざかっているような気持ちになって、急に侘しくなった。

途中、急な眠気に襲われるも目的地を寝過ごすわけにはいかないので、「INU/メシ食うな」の「つるつるの壺」をリピート再生・エンドレス歌唱(サイレント)してなんとか乗り切る。

しかし、その弊害として目的地に着いても30分くらいは「つるつる」もしくは「つる」としか喋れず、「つるつる、つる、つるつる!」と口走って、俵山温泉の住人から不気味がられそうになったらどうしようかと思い心細くなる。そのためには口を開かないのが適作か。うん。やっぱり俺は頭がおかしいみたいだ。一刻も早く入浴し、おかしくなった精神と肉体を浄化する必要がある。

その前に、予約していた宿へ向かう。15時丁度に宿へと着き、入館手続きを終え建物内と部屋に案内される。

通された部屋はお世辞にも綺麗とは言えないが、思ったよりも広く、室内のあちこちに趣きがあり、昭和の小説家が執筆活動をしているような空気感を感じたのでニヤニヤしながら部屋へ入ると、気配りなのか暖房がついており暖かかった。

お陰で体も心も温まりながら、お茶を頂きつつ帳簿に名前や住所を書き、渡したところ「晩ご飯ふぐちりなんやけど下関の人やったら別の鍋がいいよね?」と聞かれた。こういうのを痒いところに手が届かって言うのかな、気の使い方が嬉しかった。ふぐちりを食べたことがないので18時半に晩ご飯を持って来てもらうことにした。

初めて旅館に泊まるので勝手が分からんが、ジャパニーズ マインド、すなわち、おもてなしの精神に好意が持てた。

 

女将さんが部屋から出て行った後に風呂へ行くつもりが、「ぬくぬくした部屋から出たくない病」をグズグズと発症したので、バスを待っている間に買った「井伏鱒二/厄除け詩集」をペラペラ捲り、横になりダラダラと読む。擬音語・擬態語のパレード。やっぱりコイツは精神・肉体ともに腐りつつある。

 

俵山温泉は源泉量が少ないらしく、内湯(旅館内の温泉を指す)がない。たまたま、私が泊まった宿には内湯(家族風呂が2つ)があったが、俵山温泉で現在営業している「白猿の湯」「町の湯」の外湯に入りたかったので、カメラを持って風呂屋を目指す。

途中、昭和から現存する旅館や通りを含め空気感がノスタルジックだったことに、いたく感激した。平成ももう終わるというのに、温泉までの通りには昭和の湯治場が持つ鄙びた哀愁が漂っていた。

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